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ようこそ日本福音ルーテル下関教会のHP兼ブログへお越しくださいました。

日本福音ルーテル下関教会は2015年に宣教100周年を迎えました。

ドイツの宗教改革者マルティン・ルターの流れをくむ伝統あるプロテスタントのキリスト教会です。

どなたでもお越しください。心より皆様のお越しをお待ちしています。

教会には聖書と讃美歌の準備がございます。どの集会も手ぶらでお気軽にお越しください。

マタイによる福音書11章28節
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

2017年6月12日月曜日

三位一体主日説教

「伝える義務」

主日の祈り
全能の創造者、生きておられる神さま、唯一にして三つであるあなたの栄光をあがめ、三つであり唯一のあなたの大いなる御力をたたえます。この信仰に堅く立ち、逆境の中で守り、ついには、御前にあって永遠の喜びと愛のうちに住まわせてください。いまも、そしてとこしえにいます、父、御子、聖霊なる唯一の神に祈ります。アーメン

詩編唱 詩編8編(旧)840
8:1【指揮者によって。ギティトに/合わせて。賛歌。ダビデの詩。】
2主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます
3幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。
4あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
5そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
6神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ
7御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。
8羊も牛も、野の獣も
9空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
10主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。

本日の聖書日課
1日課:創世記11-24a ()1
1:1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。6神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。9神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。10神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。11神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。12地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。13夕べがあり、朝があった。第三の日である。14神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。15天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。17神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、18昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。19夕べがあり、朝があった。第四の日である。20神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」21神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。22神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」23夕べがあり、朝があった。第五の日である。24神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。26神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」29神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。2:1天地万物は完成された。2第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。3この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。4aこれが天地創造の由来である。

2日課:コリントの信徒への手紙Ⅱ 1311-13()341
13:11終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。12聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。13主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。

福音書:マタイによる福音書2816-20()60
28:16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

【説教】
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日与えられているみ言葉は、いわゆるイエスの宣教命令と言われているみ言葉です。そして、今日は三位一体主日という特別に名前の冠された主日を守っています。キリスト教の神は父と子と聖霊の三位一体の神を信じる信仰によって生かされています。この信仰に生かされているということを与えられたみ言葉から味わい、聴いてまいりましょう。

主イエスは、 私たちに「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と私たちに語り掛けます。権能とは、力です。それは、天と地の一切の権能です。では、その天と地の一切の権能はどこにあるのでしょうか。
そしてその権威とは、神から来るものです。今日の第一日課で天地創造の出来事が読まれました。この世のことがらを神が創造した御業です。

すなわち、この権威が神から与えられていることが明らかです。そして、その神の資質についてイエスは「父と子と聖霊の名によって」と語られています。神は父として、子として、聖霊として私たちに働きかけ、すべての人を弟子にしなさいと命じられています。私たちは他でもないこの神を伝える者として立たされているのです。

そして、裏を返せば私たちが今こうして毎週の主日に教会に集い神のみ言葉に触れ、聴いているということは、まさにこの主イエスの宣教命令に忠実に聴いてきた多くの主の弟子たちによって連綿と守られたことによるのです。このご命令がなければ私たちは今日、こうして神のみ言葉に聴くことの恵みに与ることは無かったでしょう。

そのような中で弟子たちが大切に人々に語り伝えたことが、神は父と子と聖霊の神であるということです。父なる神によって私たちの世が創造され、子なる神であるイエスの十字架によって罪からの救い、永遠の命が与えられていることを確信させ、聖霊なる神が先週の使徒言行録の聖霊降臨の記事に「霊が語らせるままに」とあるように神を語らせる力の源となってくださっているのです。

この三者三葉に働いている神は三つであり一人の神として私たちの内で働いてくださっているのです。イエスは、そのような神の働き、姿を証しし、その神が「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と語ってくださっているように、終わりの時までいつも共に在るという約束をしてくださっているのです。

ということは、世の始めから神が居まして、世を創造され、また主イエスを救い主として遣わし、聖霊を送ってくださったことを思い起こしながらこのイエスの約束を聴くとき、一つのことが明らかになります。
それは、この三位一体の神が初めから終わりまで人と共に居てくださり、その神の御手のうちに置いてくださっているということです。

神の姿かたちは今生きる私たちは見ることは適いません。しかしながら、信仰によってこの神の支配、神の時の中に置かれていることを信じる時、主イエスのこの約束が真実であるということに気が付かされるのです。その神からくる信仰の確信を全ての人々に神のみ名によって宣べ伝えなさいと私たちはこのみ言葉を聴くごとに、そして礼拝の時、最後に祝福を受け遣わされるごとに味わい知るのです。

私たちは、主のみ前には何も持たざる者でしかありません。もしかしたら語るべきことも分からないような存在です。しかしその主が、いつも共に在ることによって、私たちはその共に居てくださる方から、み言葉を受け、力を受け、主を証しすることの喜びをいただくのです。
何も持たざる者でしかなかった私たちは、神という方を証する大いなる神のみ業に置かれるのですから、それは大変驚くべきことです。

その主は、私たちには見えません。しかしながら、古の詩編作者は主なる神を思い起こしながら「主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。」とその威光を最大限の賛辞を送っています。翻って自分自身はどうでしょうか。主なる神に生かされ、神から主を証しする力をいただき、日々の営みを守り導いてくださっている主を思いながら、この詩編作者のような信仰に立っているでしょうか。

緩慢に過ごし、主に生かされているという当たり前のようでいて、当たり前でないことを深くとらえているでしょうか。主イエスの弟子たちは、この恵みを深くとらえていたからこそ、大迫害の中にあって命の危機に瀕してなお、主イエスは救い主であると人々に宣べ伝えることができたのではないでしょうか。主イエスの「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というみ言葉、天地創造の御業を信じ、与えられた信仰に刻み、初めから終わりまでいつも共に居てくださっている神が在るという信仰から来る確信に生かされていたに違いありません。

この福音に私たちも生かされています。そうであるならば、私たちもまた覚悟と勇気をもって世に主を証ししていく働きが与えられていると思うのです。なぜならば、私たち一人ひとりがそうであるように、もしくはそうであったように、父なる神のみ言葉と出会い、主イエスの十字架に示されている愛に癒され、励まされ、聖霊によって日々豊かにされていることに生かされている恵みを待ち望んでいる人々が世にはまだまだいらっしゃるからです。

あなたの命の初めから終わりまで神はいつも共に居てくださるのだよというメッセージに生きる力、喜びを与えられる人が居るはずです。世の中ではインターネット、ソーシャルネットワークサービス、携帯電話など、いろいろに便利になり、人との繋がりが容易くできるようになりました。一方でその中で孤立し、孤独を覚え、誰も本当の友が無いと思っている人がたくさんいることを様々なメディアを通して見聞きしています。それだけではありません。震災による孤独死などのニュースもまだまだ流れてきます。世には孤独が溢れているのです。

人との繋がりを生み出す器が、むしろ人を孤独に追いやっている現実があり、人知れず孤独の中で命を落としていく方々が居るのですから、私たちがこうして生かされている約束「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という主イエスのみ言葉が誰かを生かす福音になりえるのです。だからこそ、私たちはこの福音が鎮まることを許してはならないのです。語るのは、聖霊です。神です。そうであるならば、この神に信頼して私たちはいつまでも主を証しする道を歩んでまいりましょう。
今一度、父と子と聖霊の神によって生かされ、語り、「共にいる」という主の約束にあなたもあずかっているのだという福音を共に力の限り世に宣べ伝えてまいりましょう。主の福音にすべての人が生かされる時が必ず与えられると信じて歩んでまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

聖霊降臨祭説教

「聖霊を受ける」

主日の祈り
神様、あなたはこの日、あなたを信じる者に聖霊を送って心を開いてくださいます。聖霊の光で導き、私たちが全てにおいて正しく判断し、あなたの平和の内にいつも喜ぶことができるようにしてださい。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

詩編唱 詩編10424-34&35b(旧)942
104:24主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。
25同じように、海も大きく豊かで/その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。
26舟がそこを行き交い/お造りになったレビヤタンもそこに戯れる。
27彼らはすべて、あなたに望みをおき/ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。
28あなたがお与えになるものを彼らは集め/御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。
29御顔を隠されれば彼らは恐れ/息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。
30あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。
31どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。
32主が地を見渡されれば地は震え/山に触れられれば山は煙を上げる。
33命ある限り、わたしは主に向かって歌い/長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。
34どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。

35bわたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。

本日の聖書日課
1日課:民数記1124-30()232

11:24モーセは出て行って、主の言葉を民に告げた。彼は民の長老の中から七十人を集め、幕屋の周りに立たせた。25主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった。26宿営に残っていた人が二人あった。一人はエルダド、もう一人はメダドといい、長老の中に加えられていたが、まだ幕屋には出かけていなかった。霊が彼らの上にもとどまり、彼らは宿営で預言状態になった。27一人の若者がモーセのもとに走って行き、エルダドとメダドが宿営で預言状態になっていると告げた。28若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「わが主モーセよ、やめさせてください」と言った。29モーセは彼に言った。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」30モーセはイスラエルの長老と共に宿営に引き揚げた。

2日課:使徒言行録21-21()214
聖霊が降る
2:1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」12人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。13しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
ペトロの説教
14すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。15今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。16そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。17『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。18わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。19上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。20主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。21主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

福音書:ヨハネによる福音書737-39()179
7:39祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」39イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。

【説教】
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日は、キリスト教における三大祝祭である聖霊降臨祭、ペンテコステを覚えています。イエスが約束されていた霊を受け、ペトロをはじめ弟子たちがイエスは主である。すなわち、イエスこそが神が人間に約束されていた救い主であるということを宣教し始めた記念すべき時を覚えているのです。
そのような日にあって、主の霊が注がれ、とどまるということはどのようなみ旨が示されているのかご一緒にみ言葉から聴いていきたいと思います。

聖霊降臨祭は「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」とあるようにまったく天的な出来事によって弟子たちに齎されたのです。これは真に神の出来事であったと言ってよいでしょう。
そのような出来事を通して、彼らは神のみ言葉を預かる者として語らずにはいられなかったのです。

そして、これはイエスご自身が弟子たちに約束された「わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(ヨハネ16:7)というみ言葉の成就です。このみ言葉の成就は、この始めの聖霊降臨の出来事をもって、永遠に私たちに与えられているみ言葉の恵みです。この恵みが私たちに信仰を確信させ、救い主イエスを証する喜びを与えてくださっているのです。そうでなければ、主イエスのみ言葉は廃れ、2000年以上もの間語り伝えられることは無かったでしょう。

ですから、私たちもまたこの聖霊の付与の恵みに与っています。この聖霊の力によって、私たちの行いや語る言葉は、主を主と信じ、主を顕すのです。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」と語られているように、主の聖霊が私たちの内に留まり、命の源泉となり、川となり、神の御業、恵み、喜びといった善いもので溢れさせてくださいます。

神は、罪人の一人である私という存在に、聖霊を注いでくださることによってそのように私たちを造り変えてくださっているのです。「聖」とは、神のみが持っている性質です。私たちは罪人なのですから、決して「聖」ではありません。霊という言葉も「息」とも訳すことができますから、それは初めの人間が創造された時にそうであるように、神から与えられたものだということが分かります。

すなわち、まったく神から与えられている賜物によって私たちは神を信じる信仰が与えられているということです。罪人である私たちの内からは善いものは出ないのです。そして、何よりも最初の人も、この聖霊降臨の出来事に際した弟子たちがそうであるように、この神からの聖霊の付与に依らなければ、主を主として生きることができないのですから、これは神と人とを結ぶ触媒として与えられているということです。

この聖霊が私たちの内に来られ、まさに化学反応して、その物体の性質が変わるように、私たちは聖とされ、神の御業、神のみ旨を顕す器として用いられるのです。聖霊がなければ、私たちの行っている業は人の業にすぎません。人の業であるならば、それには限界がありますし、畏れや、不安、傷つけられると尻すぼみになってしまうことでしょう。しかし、その後のイエスの弟子たちの歩みを見れば分かるように、彼らは自分自身の命も顧みずに宣教の道を歩みました。

その根底には、神の約束が成就されたことによる愛の確信です。弟子たちは、自分たちの師であるイエスを天に送って不安の中に在ったはずです。イエスの仲間だと分かれば捕らえられ、死ぬことは自明の中で、この約束が成就されたことによって、神は私たちを捨て置くのではなく、この霊によって強め、神に対する信仰を与えてくださっている。神との繋がりの中で生かされている温かな愛を知るのです。

神は人を一人にしておくのではなく、この聖霊を送ることによっていつも私たちに呼びかけてくださり、一人でありながら、一人ではないという平安を与えてくださいます。神の守りと導きの内にある喜びを味わわせてくださいます。この神の愛が広がるように働くことの力の源泉となってくださっています。
それが聖霊によって私たち一人ひとりに与えられている力の要素です。私たちは等しく、同じ神からの聖霊によって生かされ、造り変えられ、確信をもって神を宣べ伝える者とされています。

ですから、この出来事によってモーセが「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」という願いが叶えられたのです。特別に預言者として立てられた者だけが、神のみ言葉、み旨を顕すのではなく、今、聖霊によってすべての人が神のみ言葉を伝える預言者とされているのです。人の能力の優劣は関係ありません。ましてや、弟子たちは等しく主イエスから一度離れ、裏切った罪人なのです。そこに清く正しい人は居ませんでした。

しかし、神はその弟子たちに聖霊を与えてくださったのですから、同じ罪人の一人である私たちにも同じように主を宣べ伝える預言者としてくださっているに違いないのです。そして、私が語るのではありません。語るのは、私たちの内に来てくださった聖霊自らが語ってくださいます。
神の息吹が私たち一人ひとりの内から吹き荒れるのです。

詩編作者の一人はこの神からの息、霊について「息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。
30あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。」(詩編104:29b30)と語っています。この神からの賜物なくして私たちの宣教はあり得ないことを見事に証しています。聖霊が与えられたからこそ、私たちは、私たち自身生かされていること、そして、隣人を生かす者とされ、塵や虚無の中から命溢れる恵みに引き上げられていることを知るのです。

この聖霊がいつも共に在ることを私たちは改めて今日覚えてまいりましょう。私たちの一切を力づけ、希望に溢れさせ、平安に導く弁護者、命の水の源泉が私たちの内に留まり、神の愛の源泉としてくださっています。聖霊によって神と結ばれ、神の愛に溢れさせ、神の愛を宣べ伝える者として立てられている喜びを抱きながら、遣わされる日々を聖霊と共に歩んでまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

2017年5月31日水曜日

主の昇天主日礼拝説教

今も祝福に生きる

主日の祈り
全能の神様、御子は天に迎えられ、御前で私たちのために執り成してくださっています。全世界のための私たちの祈りを聞き、終わりの時に万物をあなたの栄光へと導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

詩編唱 詩編47編(旧)880
47:1【指揮者によって。コラの子の詩。賛歌。】
2すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。
3主はいと高き神、畏るべき方/全地に君臨される偉大な王。
4諸国の民を我らに従わせると宣言し/国々を我らの足もとに置かれた。
5我らのために嗣業を選び/愛するヤコブの誇りとされた。〔セラ
6神は歓呼の中を上られる。主は角笛の響きと共に上られる。
7歌え、神に向かって歌え。歌え、我らの王に向かって歌え。
8神は、全地の王/ほめ歌をうたって、告げ知らせよ。
9神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる。
10諸国の民から自由な人々が集められ/アブラハムの神の民となる。地の盾となる人々は神のもの。神は大いにあがめられる。

本日の聖書日課
1日課:使徒言行録11-11()213
1:1-2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。

3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
2日課:エフェソの信徒への手紙115-23()352
1:15こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、16祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。17どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、18心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
19また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。20神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、21すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
22神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。23教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
福音書:ルカによる福音書2444-53()161
24:44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。49わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
50イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。51そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。52彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

【説教】
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日覚える出来事は、主の昇天の出来事です。主イエスが復活され、40日間弟子たちに神の国について証してくださった後に、生きたまま天に上げられた出来事です。この出来事に示されている神のみ旨、福音とは何か共にこの時、聴いてまいりたいと思います。

主イエスは、復活し、天に上られる時、弟子たちの「心の目を開いて」くださいました。この御業に何の意味があるのでしょうか。この開くというみ言葉を直訳すると「すべて開く」ということです。このことから表されることは、私たち人間の心は、本来開いていない、もしくは開いていてもすべてではないということです。
そうであるならば、人間が様々な思いや出来事を心で受け止める存在ですから、それが閉じていて、中途半端に開いているだけならば、そのことの本質をすべて受け止めることができないということです。

そして、イエスがこの時、弟子たちの心を開いたということは、復活の主イエスに出会ってなお、人は心が閉じていて、主のみ旨、み言葉について完全に悟ること、知ることができないという真実を突き付けています。
しかし、主イエスが弟子たち一人ひとりの心を完全に開いてくださることによって、弟子たちは、「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』」ということが成し遂げられるのです。

預言者の一人は「天に向かって目を上げ/下に広がる地を見渡せ。/天が煙ように消え、地が衣のように朽ち/地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても/わたしの救いはとこしえに続き/わたしの恵みの業が絶えることはない。わたしに聞け/正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。」(イザヤ51:6,7)と語ります。
私たちは自分の思いに陥り、過ちを犯します。過ちを犯さない人間は居ません。そうであるならば、まったく聖でいられることができないのですから、神のみ前においては罪が在るということを意味します。

そうであるならば、私たちから出るものが正しくあること、神の御業を成すことは不可能です。では、どうしたら神の御業を成し遂げ、正しくあることができるのでしょうか。それは神の恵みを受け取ること、神の祝福を受け取ること、そして、その基に神から与えられる信仰という出来事があるのです。
しかし、先ほども言いましたように、私たちは罪や、自己の思いに囚われ心を閉じていたり、中途半端に開いていたりしていて、完全に心を開くことができずにいます。それでは神からの信仰を受け取ることが適いませんし、また同時にそれらの思いを完全に取り除くことも適わないのです。

だからこそ、私たちは神の恵みに生きるほかないのです。イエスが弟子たちの心を開き、祝福しながら天に昇られたということは、人間の限界にしか生きれない私たちを解放し、祝福に生き、神のみ旨を宣べ伝える者として変えてくださっているという真実を伝えています。しかもそれは、祝福しながらなのですから、それは今も続いているのです。この言葉の時制は未完了でありますから、この祝福はこの弟子たちに与えられて以来、今も私たちすべての人間に与えられ続けている祝福です。

私たち一人ひとりは、今までも、今も、そしてこれからも主イエスの祝福のうちに生きる者とされています。そして、イエスは、「あなたがたはこれらのことの証人となる。」と語り掛けられているように、主イエスが私たちの罪のために十字架の死によって贖い、罪の奴隷から救い出してくださり、復活によって神の時の中、永遠の命に与っていることを伝える者となると言ってくださっています。

「なる」です。「なるであろう」ではありません。私たちは、この主イエスがこの世で成し遂げられた救いの業を証しする者として確固として下さっているのです。すなわち、一人ひとりの行動が、言葉が、思いが主イエスの救いを顕す器とされているのです。
罪人にすぎなかった私たちです。神を証するのにふさわしくない器が、この昇天の出来事を通して、神の栄光、救い、恵み、信仰といった神から来るすべてを証する器とされているのです。

み言葉を通して私たちが神と結ばれ、神のみ旨を悟る者とされ、神の御業を証する者と変えられている喜び、光栄を受けているのです。主イエスの昇天の出来事に集う弟子たちも十字架の時、逃げ出し、主を裏切った信仰の弱き者でした。しかし、この出来事を機に彼らは「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」とあるように、主イエスのみ前に遜り、主を賛美し、証しする者とされました。

弟子たちは、この時代、主イエスを賛美するということは、信じない人々にとっては反逆者イエスを主とするということなのですから大変な危険を伴いました。
しかし、そのような恐れ以上に、神に生かされている喜び、恵みが勝るのです。だからこそ、弟子たちは宣教者として神のみ言葉を世界中に宣べ伝えていったのです。彼らが素晴らしかったのではありません。主イエスの祝福、神の恵みがこの世の何にも勝り、将来神の時が訪れれば神の栄光の内にあるという確信があるからです。

同じ喜び、同じ力に与っていることを覚えてまいりましょう。神から来るすべてに勝るものに満たされています。私たちもまた、主イエスに生かされ、救いの喜び、主イエスの祝福の内に生かされている喜びを、神を賛美しつつ、世に響かせ、世界中の人々に神の恵み、救いを宣べ伝えてまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。