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2014年1月31日金曜日

2月2日の礼拝案内

2月2日 顕現節第5主日(緑)

主日の祈り
神様。あなたは、私たちが弱く、いつも危険の中にいることをご存じです。どうか、私たちの心身を強め、襲い来る罪の力に、打ち克つことができるように助けてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:イザヤ書581-10()1431
58:1 喉をからして叫べ、黙すな/声をあげよ、角笛のように。わたしの民に、その背きを/ヤコブの家に、その罪を告げよ。 2 彼らが日々わたしを尋ね求め/わたしの道を知ろうと望むように。恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として/彼らがわたしの正しい裁きを尋ね/神に近くあることを望むように。 3 何故あなたはわたしたちの断食を顧みず/苦行しても認めてくださらなかったのか。見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし/お前たちのために労する人々を追い使う。 4 見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては/お前たちの声が天で聞かれることはない。 5 そのようなものがわたしの選ぶ断食/苦行の日であろうか。葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと/それを、お前は断食と呼び/主に喜ばれる日と呼ぶのか。 6 わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。 7 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。 8 そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。 9 あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら 10 飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。

第二日課:コリントの信徒への手紙Ⅰ215()300
2:1 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 2 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。 3 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 4 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。 5 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。

福音書:マタイによる福音書513-16()6
5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

※聖書は、「新共同訳聖書」を使用しています。
  ご自分の聖書をお持ちの方は、どのような訳でも構いませんので
  ご持参いただいても結構です。

本日の讃美歌
はじめの歌 194番|みことばの歌339番|
感謝の歌332番|聖餐の歌203番|終わりの歌520

※すべて日本キリスト教団出版局による「讃美歌・Ⅱ編」です。

説教題 私たちの光を輝かす」 竹田大地牧師

ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~

※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

1月26日の説教

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聖書箇所については上のリンクから


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日読まれた福音書の日課は、イエスの最初の弟子であるペトロとアンデレ、そして、ヤコブとヨハネの兄弟の出会いの物語です。
聖書の中でも大変有名な個所であり、そして、この箇所は、私たちにイエスの弟子として、即ちキリスト者として生きるということがどういう事かということを教えてくださっている御ことばです。
さて、先ずこの弟子たちについて見ていきたいと思います。
ペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネの兄弟は、それぞれに漁師としての人生を歩んでいました。ガリラヤ湖畔ではごく一般的な職業であったようです。なんら特別な職業でない人々であったということです。イスラエルの市井の中で、おそらく誰からも注目されずにこれまで生きて来たのだと思います。
そして、何よりも彼ら自身も自分たちが何かをなしえようとも思わなかっただろうし、何かをなしえる力を持っているとも思わなかったことでしょう。しかし、そのような本当にしがない漁師たちを最初の弟子として召しだしたのです。

このことの意味を私たちは今日この時御ことばに聴いていきたいと思うのです。
彼らは、福音書を読み進めていくと明らかになりますが、信仰的に素晴らしかったというわけではなかったようです。ペトロは、イエスが主であると告白するという記事がありますが、十字架の場面では、イエスの仲間ではないかと問い詰められ、怖れを抱き三度知らないと言い、イエスを裏切ってしまいます。また、ヤコブとヨハネの兄弟もまた来るべき世が来たときには、あなたの右と左に置いてくださいと頼み、権威や権力というものに囚われている姿が露わにされています。
ですから、彼らは決して素晴らしい信仰を持っていたということではないのです。イエスによって弟子として召しだされてなお、迷いと恐れ、誘惑に対して弱い者であるということが語られています。

しかし、このような彼らの姿を思ってみますと、私たち一人ひとりもまたイエスを信じると告白し、キリスト者として歩んではいますが、ひとたび誘惑に陥るとなかなかそれを克服することが難しいなと思わされます。そういった経験を誰しもがしてきたことだろうと思います。

それは何故でしょうか。考えて見ますと、私たちはこの世で生きる中で何かを獲得するという人生を歩んでいるからだと思います。赤ん坊としてこの世に生を授かり、成長する中で私たちは身体的にもハイハイができるようになり、つかまり立ちができるようになり、歩けるようになるということを獲得していきます。
また、言葉を獲得し、知識を獲得していきます。さらに成長していけば、地位や、名誉、何かしらの権威、財産など様々なことを獲得していくのです。私たちは、このようにして何かを足し算していくことが人生を豊かにすることだろうと思っています。

それは、人間の事がらだけでなく、この世の仕組みなどにも言えることです。もっと便利にという思いが、炭やガス、油という天然の資源を利用することへと進歩していきました。料理一つとっても、もっと時間を有効利用するために、冷凍食品や、レトルト食材というものを生み出したのでしょう。
つまり、私たちは何か生きている限り、進歩させよう、発展しようというプラス、プラスという考え方をもって生きていくことが当たり前になっているのです。

しかし、ペトロたちがイエスの弟子として召しだされた時に何をしたかと言うならば、漁師という職業にとって最も大切な網を捨てたということです。さらには、父親すらも残して行ったのです。おそらく、この時代に生きる人々もまた、もっと稼ぎをとか、漁師であれば、もっと魚が取れるためにはということを考えていたでしょう。それはすなわち、足し算の生き方です。つまり、私たちと同じように何かを獲得していくことこそ、人生を成功に導くと思っていたのです。

イエスの弟子として生きるということの本質は、そのような足し算の人生ではないのです。
結論から申しますとキリスト者として生きるということは、徹底的に引き算の歩みであるということです。
今、聖書を読む会で詩編118編を学んでいますが、その中でこの詩編作者を通して、神の他に頼る者の無いこと、そして、何よりも何かにこだわり、心を囚われることは無いという力強いメッセージを貰いました。
まさに、この時弟子たちに起こったことは、このイエスに従うということ以外何も必要のないことを悟らされたのです。

ここで注意せねばならないのは、その時にも私の決断が必要かと不必要かという問いは意味を持たないということを覚えることです。
本日読まれた、イザヤ書の日課においてそのことが明らかにされています。主なる神は、イザヤに「わたしの証人はあなたたち/わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。」という預言を与えます。すなわち、このことが意味していることは、キリスト者として生きることは、何か資格が必要であるとか、相応しい心持で居なければならないということではないのです。それは徹底的な神からの呼び出しであるということです。

ですから、私たちはその声にただただ付き従うというこの一点に集中するのです。そして、そのような私たちに対して神はそのみ手を伸ばし、私たち一人ひとりを導いてくださっているのです。これは、神の恵みの中に置かれているということです。神は徹底的に私という存在を恵みで満たし、導いてくださっているのです。
パウロが、「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」とあるように、神ご自身が、イエスご自身が、私のすべてとなってくださったのです。
ですから、私たちは、ペトロたちが弟子とされた時、生きる術を全て捨ててイエスに従ったという姿に疑問を抱く必要はないのです。人間的に見れば、その人のすべてを失い、おろかに見えます。
けれども、キリスト者として生きるということは、この引き算の生き方に有るのです。

徹底的に自分を着飾っている物を脱ぎ捨てていくこと、そして、自分を露わにしたとき現れる自分の持っていたエゴや、欲望、力への羨望が何の役にも立たず、むしろそれが罪ということを自覚するに至るのです。
そして、同時にそのようなモノに対して私たちが無力であり、成す術がないことを覚えるのです。その時に変わらずに輝き、真実なものは、神の御ことばであり、神の愛であり、神の癒しであり、慰めなのです。
私たちは、この神からくるものに徹底的に自分を委ねていけばよいのです。

私たちは、新しい年を迎え、今年の教会について話しあう時を持とうとしています。
そのような中で、私たちは大きな事がらを話し合おうとしています。このことがどうなるかと思わされます。本当になすことができるか、何かトラブルが起こるのではないかと色々な思いが頭をよぎります。
けれども、今日の福音に描かれている弟子たちの姿を通して、むしろ何もないことによって与えられる多くの恵みがある、そして、そのような何もかもを主に委ねたときに、注がれる恵みがあるということを覚えました。

あえて自分を無にすることを恐れずに生きましょう。そこに注がれる神の恵みに信頼し、歩んでまいりましょう。必ず神がこの教会の群れに相応しい実を実らせてくださいます。相応しい器を備えてくださいます。神の恵みが絶えず私たちに注がれています。これまでの教会の歩みもそうであったように、これからも神の栄光を顕すものとして、この地で神の御ことばを確信をもって宣べ伝えていきましょう。
イエスがその宣教の働きにおいて「巡回し」「教え」「宣べ伝え」「癒された」ということをマタイは伝えています。このイエスの宣教の業に私たちも召しだされているのです。
ですから、主の恵みを全ての人々に告げ知らせる召しをそれぞれに与えられた賜物を活かして、共に祈り合い、共に担い合い、共に愛し合いつつ歩んでまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。



2014年1月20日月曜日

1月26日の礼拝案内

1月26日 顕現節第4主日(緑)

主日の祈り
全能の神様。あなたは権威をもって、み国の到来を告げ、教えるために、み子を遣わされました。悩む人によい知らせを、悲しむ人に慰めを、囚われている人に自由を伝えるために、み霊の力を注いでください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:イザヤ書4310-13()1131
43:10 わたしの証人はあなたたち/わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。あなたたちはわたしを知り、信じ/理解するであろう/わたしこそ主、わたしの前に神は造られず/わたしの後にも存在しないことを。 11 わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。 12 わたしはあらかじめ告げ、そして救いを与え/あなたたちに、ほかに神はないことを知らせた。あなたたちがわたしの証人である、と/主は言われる。わたしは神 13 今より後も、わたしこそ主。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を起こせば、誰が元に戻しえようか。

第二日課:コリントの信徒への手紙Ⅰ12631()299
1:26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。 7 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。 28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。 29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。 30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。 31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

福音書:マタイによる福音書418-25()5
4:18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 20 二人はすぐに網を捨てて従った。 21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。 22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。 23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。 24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。 25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。

※聖書は、「新共同訳聖書」を使用しています。
  ご自分の聖書をお持ちの方は、どのような訳でも構いませんので
  ご持参いただいても結構です。

本日の讃美歌
はじめの歌228番|みことばの歌242番|
感謝の歌294番|聖餐の歌―番|終わりの歌354番

※すべて日本キリスト教団出版局による「讃美歌・Ⅱ編」です。

説教題 最初の弟子」 竹田大地牧師

ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~

※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

2014年1月14日火曜日

1月19日の礼拝案内

1月19日 顕現節第3主日(緑)

主日の祈り
主なる神様。あなたはみ子によって多くの人々を信仰に導き、栄光を顕されました。私たちにも信仰の賜物を与え、み子のように、すべての人々に喜びを伝えることができるようにしてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:アモス書3:1-8()1431
3:1 イスラエルの人々よ/主がお前たちに告げられた言葉を聞け。――わたしがエジプトの地から導き上った/全部族に対して――2 地上の全部族の中からわたしが選んだのは/お前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちを/すべての罪のゆえに罰する。3 打ち合わせもしないのに/二人の者が共に行くだろうか。4 獲物もないのに/獅子が森の中でほえるだろうか。獲物を捕らえもせずに/若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。5 餌が仕掛けられてもいないのに/鳥が地上に降りて来るだろうか。獲物もかからないのに/罠が地面から跳ね上がるだろうか。6 町で角笛が吹き鳴らされたなら/人々はおののかないだろうか。町に災いが起こったなら/それは主がなされたことではないか。7 まことに、主なる神はその定められたことを/僕なる預言者に示さずには/何事もなされない。8 獅子がほえる/誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる/誰が預言せずにいられようか。

第二日課:コリントの信徒への手紙一1:1017()299
1:10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。13 キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。14 クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。15 だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。16 もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

福音書:マタイによる福音書4:1217()5
4:12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

※聖書は、「新共同訳聖書」を使用しています。
  ご自分の聖書をお持ちの方は、どのような訳でも構いませんので
  ご持参いただいても結構です。

本日の讃美歌
はじめの歌19番|みことばの歌312番|
感謝の歌217番|聖餐の歌204番|終わりの歌121
※すべて日本キリスト教団出版局による「讃美歌・Ⅱ編」です。

説教題 悔い改めよ」 竹田大地牧師

ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~

※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。


2014年1月12日日曜日

1月12日の礼拝案内

1月12日(日) 主の洗礼日(白)

主日の祈り
天の父なる神様。あなたはヨルダン川でイエス・キリストに聖霊を注いで「わたしの愛する子」と言われました。み名による洗礼によって、あなたの子どもとされた私たちがみ心に従って歩み、永遠の命を受ける者となるようにしてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:イザヤ書4217()1128
42:1 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。 2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。 3 傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。 4 暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。 5 主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ/地とそこに生ずるものを繰り広げ/その上に住む人々に息を与え/そこを歩く者に霊を与えられる。 6 主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び/あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として/あなたを形づくり、あなたを立てた。 7 見ることのできない目を開き/捕らわれ人をその枷から/闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

第二日課:使徒言行録103438()233
10:34 そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 35 どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 36 神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、 37 あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。 38 つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。

福音書:マタイによる福音書31317 ()4
3:13 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。 14 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」 15 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。 16 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。 17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

※聖書は、「新共同訳聖書」を使用しています。
  ご自分の聖書をお持ちの方は、どのような訳でも構いませんので
  ご持参いただいても結構です。

本日の讃美歌
はじめの歌23番|みことばの歌252番|
感謝の歌198番|聖餐の歌-番|終わりの歌329
※すべて日本キリスト教団出版局による「讃美歌・Ⅱ編」です。

説教題 イエス様がやって来た」 竹田大地牧師

ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~

※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

2014年1月4日土曜日

1月5日の礼拝

1月5日(日) 顕現主日(白)

主日の祈り
主なる神様。あなたはこの日、星の導きにより、すべての民にみ子を示されました。今、信仰によって歩む私たちが、あなたの臨在を知り、終わりの日に、栄光の主を仰ぐことができるように導いてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:イザヤ書6016()1159
60:1 起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。 2 見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。 3 国々はあなたを照らす光に向かい/王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。 4 目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから/娘たちは抱かれて、進んで来る。 5 そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き/おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ/国々の富はあなたのもとに集まる。 6 らくだの大群/ミディアンとエファの若いらくだが/あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

第二日課:エフェソの信徒への手紙3112()354
3:1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。 2 あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。 3 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。 4 あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。 5 この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 6 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。 7 神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。 8 この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、 9 すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。 10 こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、 11 これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。 12 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。

☆福音書:マタイによる福音書2112 ()2
2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。


※聖書は、「新共同訳聖書」を使用しています。
  ご自分の聖書をお持ちの方は、どのような訳でも構いませんので
  ご持参いただいても結構です。

本日の讃美歌
はじめの歌 301番|みことばの歌 103番|
感謝の歌 52(Ⅱ編)|聖餐の歌 205番|終わりの歌 106

※すべて日本キリスト教団出版局による「讃美歌・Ⅱ編」です。

説教題 先立つ光に導かれて」 竹田大地牧師

ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~

※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

2014年1月1日水曜日

新年礼拝が行われました

新年あけましたおめでとうございます。

本日の11時からルーテル下関教会では、新年礼拝が執り行われました。

今年も例年通り15部しか式文を用意していませんでした。
牧師の不信心ですね。


神様は、人の思いを超えて、36名もの出席者を与えてくださいました。
信徒の皆さんもこんなに人が来たのは久しぶりだとおっしゃっていました。
本当にこの神様からの恵みに感謝です。

ルーテル下関教会99年目の歩みだしが、さっそく神様の恵みと導きを強く感じることができました。
今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。

この文書をお読みの皆さんの上にも神さまの恵みと祝福が豊かにある一年となりますようにお祈りしています。

尚、1月5日(日)の礼拝は、通常通り執り行われます。
どなたでもお越しください。心よりお待ち申し上げています。

ティーンズ礼拝 9:30~10:00
主日礼拝 10:30~11:45


※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。